備忘記録3

どこまで書いたんだろう?
このまま書くのを止めたい気持ちもあるがやっぱり書いておく。

10月4日(火) 夕方買い物途中に兄から「血圧が下がってる、覚悟しておいてくださいと言われた」と電話があった。
私は5日の水曜日に見舞いに行く予定だった。きっとそれまで大丈夫だと思っていたのに。
10月5日(水) 朝5時45分に自宅の電話が鳴る。とうとうきたか。案の定、兄からの電話だった。急いで用意をし自転車で駅まで行く。電車に乗るが新快速がまだ早い時間のため走っていない。6時4分発の快速電車に乗るが時間がかかってしまう。
電車の中では必死に涙を堪えていた。
6時50分くらいにメールが入る。「ダメだった」と。誰も間に合わなかったらしい。
後から聞いた話だが、5時半に兄へ病院から電話がありその10分後ぐらいに息をひきとったらしい。お医者さんが確認したのが6時45分くらい。この時間が診断書に書かれていた。
最寄の駅に着きタクシーで病院へ向かう。何時ごろに病院に着いたんだろう? もう覚えていない。

父のいる病院の2階へ着いたが病室がわからない。先週木曜日(9月29日)に来た時と違う部屋だった。(亡くなったら個室になるらしい)兄に電話して迎えに来てもらう。
やっと父のいる病室へ入る。
父の姿を見て私が一番最初に発した言葉は「笑ってる」だった。
口元が笑ってるように見えた。楽になったのか? それとも私が来て喜んでくれたのか?

男性の看護士さんがすごく丁寧に後の処理をやってくれていた。
手を組み、顔に布がかぶせられた。

その横で姉、兄、私で今後の話をする。
ときどき父の寝ているベッドへ目を向けたが、息遣いをしていそうで、掛け布団がふわふわと動いているように見えた。
遅れて妹が到着した。
私も含め、皆淡々としていた。

急いで自転車で駅に向かうとき嗅いだキンモクセイの香り。
毎年この匂いを嗅ぐたびに父のことを思い出すだろう。

備忘記録はこのあたりで終わりとしておく。

備忘記録2

9月28日(水)兄に病院から電話が入り、病院へ来て欲しいと言われる。兄は所要のため姉が行くことに。
病院では、父の素行が悪いと言われてしまう。点滴を勝手にはずしたり、夜にベッドから降りてトイレに行こうとしたのか下着をおろしベッドの横に座ったままごそごそしていたそう。同室の患者さんからナースコールが入る。
介護認定を早く取得し違う施設へ移って欲しいようなことを言われる。
しかし、次の日からは徐々に落ち着いてきたようだ。というより、衰弱していって素行の悪いことができる状態ではないようになったのだと思われる。
29日(木)私と夫が見舞いに行く。父の状態を目の当たりにするまでは、少しボケてきてはいるが会話ぐらいはできるだろうと思っていた。もちろん、私が来たこともわかると思っていた。
しかし、その思いが病室に入り打ち崩された。意識混濁の状態で会話なんか一切できない。少しは声に反応するが、私が来たこともわかったかどうかわからない。
この日を境に私は吹っ切れた。早く楽にさせてあげたいと思うようになった。
30日(金)兄が見舞いに行く。ベッドから降りようとする行為はまだあるようで、ベッドでなくて床に布団を敷いて寝かされていた。
そこで主治医と会い病状を聞かされる。がんは進行はしているが、歩けない状態でもないし食べられない状態でもない。精神的なショックからきているようなので、精神科の先生を往診させてもよいか尋ねられた。
しかしながら余命数ヶ月だと告げられる。かつ、腸閉塞をおこしてしまったらもう後はないとも言われる。それが今日明日おこってもおかしくないらしい。
食事は今までミキサーにかけて食べさせてくれていたが、点滴のみになっていた。
10月3日(月)兄が介護認定の申請に行く。その最中に兄に病院から入電。夕方病院へ行くと、前夜に急変してかなり容態が悪化してしまったそうだ。肝臓がかなり悪いらしい。余命1ヶ月だがもしかしたらこの1週間のうちかもと言われる。
あと危篤状態、心肺停止状態になったときの延命処置について尋ねられた。その際の延命については断ったと私に電話で連絡があった。
肺やリンパにも転移している模様。今までしていなかった酸素マスクをして横たわっている父。呼びかけても全く反応がない。

つづく

備忘記録

前回同様暗い内容だわ。
でも、少し記録しておきたいので書いておこう。

9月3日(土)に父からぶどう狩りへ行こうと誘われる。
だけど3日は台風12号が接近のため1週間ずらそうということになる。
10日(土)に変更したのだけど、8日に夫が台風で水害にあったおばあちゃん家(和歌山)に行きたいので10日はやめにしてくれと言われる。
9日(金)に行けるか父に電話するが、その日は健康診断で胃カメラを飲むから無理だと言われる。再度1週間ずらそうとしたけど、父から「とりあえず和歌山へ行って来た方が良い。ぶどう狩りへ行く日は帰ってきてから決めよう」と言われる。
10日の午前中に父から電話があり他愛ない話をする。
12日(火)の昼ごろ父から電話があり、「大腸がんで肝臓にも転移している。最悪や、最悪や。今はぶどう狩りどころやないわ。」と言われる。
親戚のおばちゃんが15日に父宅へ行く。かなり痩せているとの連絡が兄にはいる。
20日(火)兄が父と病院へ行く。進行していて手術はできないと言われ、衰弱しているので入院させてくれと頼むが「手術もできないのに、何のために入院するんだ?」みたいなことを言われる。臨床実験も断りたいと伝えるとぶちぶちと文句を言われ、兄が最悪な医者だと腹を立てる。転院することが決定。
21日(水)私が父に電話する。がんだということにショックを受けているようだが普通に話をする。
このことを数日後、兄に話すと「奇跡」だと言われる。
セカンドオピニオンの病院を見つけ、近くのアパートを借りる。22日(木)へ行く予定で、18日(日)兄と妹が父を迎えに行きアパートへ連れてくる。
兄と妹から、かなり衰弱していて、自力で歩けない。トイレにも自力で行けない感じだと聞く。
19日(月)兄がお昼に父の様子を見に行く。かなりひどい状況を目の当たりにする。水は出しっぱなし、冷蔵庫も開いたまま。トイレも行こうとした形跡があるもののきちんとできていない。
翌日、兄と姉が様子を見に行く。やはりひどい状態である。ポータプルトイレを買ってくる。
ポータプルトイレで用を足すように伝えたときは、理解したような返事をしたらしいが、翌日使った形跡はなかったらしい。
病院へ行くのは1日でも早いほうが良いと1日繰り上げて、21日に行くことにする。
22日に行く場合は兄と私が同行する予定だったが、21日は私に予定があり兄と姉が同行することになる。
セカンドオピニオンの先生はかなり良い先生で、父のことを丁寧に診てくれた。
衰弱がひどくて即入院が必要だが、この病院では進行しすぎで診ることができないと言われる。が、違う病院を紹介してくれ、その日のうちに新しい病院へ入院する。
最初に診た医者は相当ひどいようだった。二度目に診てくれた先生がそのひどい先生の紹介状を見て「これはひどい」と言っていたそうだ。どんな紹介状だったか不明だが、直接会ったことのある兄は「そんな風な先生だ」と言っていた。
入院した病院の先生は親身になってくれる良い先生だそうだ。
入院が決まって家族全員一安心。
アパートを10月いっぱい借りてしまったけど、それはそれで仕方がない。入院できるほうが喜ばしいことだ。

つづく。